
変易と不易⑥ 〜能力の限界〜
人生の季節。

80年を巡る幾度の春夏秋冬。
生まれた彼の地に再び帰る時まで、何周か、何十周か。

限りある命。
その寿命を謳歌する為にも、

自分の春を見つけられたら、何かに挑戦するのが宜しい。

やがて夏を感じたら、自分でも驚くほど積極的に前に出て宜しい。
それによって訪れた秋の果実は、

実りが多くとも畏れることなく、堂々と教授して宜しい。
栄光の時が終わりを告げようとも、栄枯盛衰を悲観に捉えなくとも宜しい。

冬の厳しさは罰ではなく、その白さは、もう一度、素晴らしい絵を描く為の計らいであって、過去が無に帰したのではない。
季節を何度か巡る経験をすると、季節を感じやすい感質になって来ます。
感質とは、実際の季節の変わり目に肌荒れが起こるといった、敏感肌の様な体質と同じで、見えないものを感じ易い心持ちになって行くということです。

直感や予感が鋭くなってくるのは、人生に立ち向かうことで経験が豊かになり、洞察力が増して来る為ですが、感質が高まるというのは、直感や予感が鋭くなると言うよりも、感覚に、より多くのものが語りかけてくると言うようなものです。

春には何か始めた方が良いのですが、心地よい気分を行楽だけに充て、何も始めずに過ごすと、夏を感じられず力の発揮処を失う為、秋を迎えられません。
収穫の無いまま、冬がやって来て憂鬱な気分で過ごすこととなります。
こういった人生の四季を過ごすのは大変に勿体ないものです。
気分が良い時期。
気分が良くない時期。
運気が良い時期。
運気が悪い時期。
運気は確かに存在するものですが、この場合は、冬に気分が優れないことを、運気のせいにしているに過ぎません。
「生きる」とは、「挑む」ということなのです。

挑むとは、夢や理想を掲げて、手の届かない何かを追い求めてみることです。
それにより、人生で初めて自分の無力さや至らなさを感じることができます。
その挫折を乗り越えられる心の強さを見出せれば、やがて自助努力により、類稀な能力を開花させ、自分に確かな価値を感じられるようになります。

しかし、人智を磨いても、それだけでは大きな変化は起こらないことを知るのです。
自分の不甲斐なさに悔し涙を流した人間にとって、磨き上げた能力により、他者より優れていることに自信と悦びを感じるのは当然のこと。
だからこそ、目に見える能力や、相手の思考を見抜く洞察力を手にしたことで、人生を大きく向上できると思うのです。
そう信じて然るべき努力を行なったという自負が、より強くそう思わせるのでしょう。
しかし、人生は大きな壁のように立ちはだかるばかりで一向に思うようにはならないのです。

「人智を尽くして天命を待つ」
正に、この言葉の通りです。
先ずは目に見えることに精一杯挑む。
すると、自助努力で辿り着ける場所は遥か彼方ではなく、ご近所程度の距離しか進めないことを知り、カルチャーショックを受ける。

しかし周りを見渡せば、実に様々な方々が素晴らしい功績を挙げて、名実ともに誇らしく、人生を歩んでいる人々が確かに居る。
人智において遜色があると思えない。
それを得るに至った自己研鑽の度合いは尚のこと。

何かが自分には足りていない。
それが何かが分からない。
できることは全部やった。
嘘偽りなく、そう思えた時、自助努力を突き詰め、自己研鑽を極めた愚者の2度目の挫折に、天はその者の第六感に働きかけ、欠けていたピースについてのヒントを与える。

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