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変易と不易 その2〜鼻ったれのあかんタレ〜

まともな人間になる。

即ち今の自分は、「どうしようもなくあかんタレ」であるという自覚を持つこと。

どうでしょうか。

ただでさえ自信が無い自分に、敢えて自己否定を与えるのであります。

世の中、成ってない人間ほど、自分に対する自己評価が高くなるもので、これはそうしないと、自分が保てないから、という弱い心の自己防衛本能です。

まだ、そう思えている内は救いようもありますが、その状態から何もしないとでいると、何もしてないのに、何かしたような気になる。

実際は、何もしてないのに、何故か、何かしたような気になる。

可笑しなもので、人間に備わっている快楽装置とでも言えば良いのか、自己都合の良いように、いつの間にか無意識で記憶を改竄(かいざん)出来るところが厄介なものです。

まぁ、あまり自己嫌悪に陥っても生き辛くなります故、これはこれで時と場合によっては必要な生存本能の一種かも知れませんが、戦争さなかの某国育ちならばまだしも、この国は命を脅かされる危険性もなく、生まれた家柄に寄ることもなく、自分の身一つで何事にも挑戦できる世界一恵まれた環境でありますのに、そこで最も重要な自己成長というものから、この記憶改竄装置は遠退けてしまうので問題です。

しっかりと、今の自分を自己否定する覚悟を持つ。

それは裏を返せば、未来の自分は今とは別人のように、素晴らしくなっているという未来の自分との約束の上で、初めて意味を為す良き自己否定なのであります。

この「未来」という、今は起きていない「無」をイメージで呼び起こせる人が少ないのです。

未来と今が繋がっていない自己否定は、ただの「鬱」の初期症状に過ぎないのでありまして、これらは組み合わせ、食べ合わせを正しくしないとイケません。

自己否定は、自己改革に無くては為らない要素でありますが、自己否定単体ではネガティヴのみである事に変わりはありません。

つまり、何でも「点」で捉えてはいかんのです。

点で捉えると悪いものでも、線で辿(たど)った中に組み込まれていれば良くなる。

点で捉えると悪いものでも、面の中の一部として考慮すれば良くなる。

世の中こう言ったことだらけです。

「それだけ」とか、「単体」とか、何か一つだけを切り抜いての評価は、社会という団体戦の中ではあまり意味を為さないものです。

なのでよく世間では、点だけで見ると「点で分からなくなる」等と言ったりします。

かつての私も、この良き自己否定を身に付けたことにより、「傲慢」つまり奢りによって、自分を見失い失敗するというような事がなくなり、良くなったとまでは言いませんが、それ以降の改善点に目を向けることができたと記憶しております。

それからと言うもの、いつでも自分を懐疑的に見ておりますので、言葉一つ一つが弱くなってしまいましたが、代わりに、知らずのうちに誰かを不愉快にさせる、心を傷付ける、といった事が無くなった為、相手の態度が突然冷たくなり、私は原因も分からず恐ろしくなり、どうして良いか分からなくなると言うような思いをしなくて済むので、心が穏やかになり、又それが私自身に、かつては無かった落ち着いた雰囲気というものを与えたのだと思います。

やがて、それが「ゆとり」という目には見えないけれども、存在している何かへと変化して来たのかも知れません。

その様な穏やかな日々が続いた後、人様から尊重されるような日々へと徐々に移行されて、心は「感謝」と「謙虚」が大部分を占めるように為れば、目標は「一角の人物」に格上げして、それこそ、然るべき手段を探す段階となるのです。

感謝、感謝、感謝、感謝。

謙虚、謙虚、謙虚、謙虚。

後はもう、そればかりであります。

結果、この様な穏やかな心の有り様を私にくださるのは、私では無く、私を取り巻いてくださる皆様であって、私は私以外をどうこう出来ないのであって、出来ることと言えば、自分がして貰えると有り難いようなことを、できる範囲で周りの方々にさせて貰うくらいのことで。

そうやって気付けば、助けられてばかりの繰り返しの私が、一角の人物という像にまで当て嵌まっているとすれば、若かりし日に思い描いた憧れと、実際その立ち位置から見えている景色は、全く違っていたのであります。

お偉い方々から、

利他、利他、利他、利他。

と教わったけれども、ようやく利他が理解できた頃、同じ様に、

利他、利他、利他、利他….

と言いはしますが、決して私の呪文の様な二語で、誰かが利他を悟ったりせんであろうと矛盾するのであります。

しかし、他に出来ることも見当たらない為、いつか皆、自分の経験が利他に届いた時の為に、また、利他を分かった気にならぬ為に、また、利他を諦めることが無きように、

利他、利他、利他、利他….

と、唱え続ける愛情が、お経の様に響き渡り、この世に確かに存在しているのだと思います。

次回に続きます。

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