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資本主義とは、神の代替装置であった

なぜ人は「お金」に跪くのか

現代人は、神を信じなくなった。
少なくとも「自分の人生を預ける存在」としての神は、生活から姿を消した。

だが、私は長年、金融と人間を見続けてきて、ある確信に至った。

人は、神を捨てたのではない。
神を“置き換えた”だけである。

その置き換え装置の名が、
資本主義だ。

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神が担っていた役割とは何だったのか

かつて神は、次の三つを人間に与えていた。
1. 善悪の基準
2. 努力が報われるという物語
3. 人生に意味があるという前提

人は、
「正しく生きれば救われる」
「勤勉であれば報われる」
「人生には意味がある」
と信じられたから、困難に耐え、節度を保ち、他者を害することを自制できた。

だが近代以降、この「神の物語」は急速に効力を失っていく。

その空白を埋めたのが、資本主義だった。

お金は“新しい神”になった

資本主義は、神と同じ役割を果たし始めた。
• 善悪の代わりに「儲かるか/儲からないか」
• 救済の代わりに「成功者/敗者」
• 来世の代わりに「老後の安心」

人はいつの間にか、こう信じるようになった。

金があれば正しい
金があれば安心だ
金があれば人生は成功だ

ここで重要なのは、
お金そのものが悪なのではないという点だ。

問題は、
お金が「最終判断者」になってしまったことにある。

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資本主義の致命的欠陥

神は、人を裁いたが、
同時に人に節度を要求した。

一方、資本主義はどうか。

資本主義はこう囁く。

「もっと欲しがれ」
「勝て」
「奪え」
「早く」
「多く」
「他人より先に」

ここには中庸が存在しない。

陰陽で言えば、陽が暴走した世界だ。
拡大、成長、加速、効率。
止まることは「悪」とされる。

だから人は疲弊する。
家庭が壊れ、心が摩耗し、信頼が失われる。

それでも人は走り続ける。
なぜなら、止まった瞬間に価値が無くなると教え込まれているからだ。

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易経が語る「時中」の視点

易経は、決して「成長」を否定しない。
だが、常にこう問う。

今は、その時か?

成長すべき時もあれば、
守るべき時もある。
退くことで、次が開ける時もある。

時中を失った成長は、破滅である。

資本主義は、この「時」を無視する。
だからバブルが生まれ、崩壊が起き、
そのたびに人間が切り捨てられる。

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なぜ私は「金融道徳」を語るのか

私は金融の世界に身を置きながら、
金融そのものを神にしてはならないと確信した。

金融は道具であり、
人生の主人ではない。

だから私は、
やり方ではなく、在り方を問う。


その提案は、人の人生を長く支えるか
その儲け方は、夜眠れるものか
その成功は、伴侶と分かち合えるものか

これらに「YES」と言えない成功は、
易経的に言えば、既に兆しが崩れている。

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資本主義の次に来るもの

資本主義が神の代替装置だったのなら、
次に必要なのは何か。

それは、
人が再び「節度」を取り戻す仕組みだ。

私はそれを、
「金融道徳」と呼んでいる。

神に戻る必要はない。
だが、神が担っていた役割は取り戻さねばならない。

中庸を守り、
陰陽の均衡を見極め、
時中を外さない。

その覚悟を持つ者だけが、
コンサルタントと名乗るに値する。

田坂俊紘

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