変易と不易
前回、「中庸と時中」というお題で、時流というものに上手に乗り、自分を磨く為の努力を継続して行うということから逃げて、偶然やツキといった要素に身を委ねているようではいけないという話をしておったと思います。
その逆で、全ては自分次第。
自分自身の眼を鍛え、感覚を研ぎ澄まし、思慮深く物事を論理的に線で繋いで行くような思考を持てば、いついかなる場合でも、判断を間違えないようになる。
こういったことが時中ということであり、それは業種に寄らず、浮ついた儲け話に寄らず、功利を稼ぐのが上手な者に乗っかるような思考に寄らない。
この様な自分を創り上げて行くことが望ましいのであります。
では、どうすればできるのか。
私の経験上、やはり正しい知識を得ること、真実を知ることではないかと思います。
私もかつて若かりし頃、一角の人物になりたいと強く望み、その為には兎にも角にも、先ずは経済的に豊かに成れる手段と出逢うことだと思い込みましたのですが、想いは届くものでありまして、実際の豊かさを引き寄せたのでは無く、次から次へと手段ばかりが、私の元へ情報としてやって来て、私はどの手段に挑戦すべきなのか、すっかり迷ってしまいました。
何を選べば成功できるのか。
間違った選択をしたくない。
1番利益率が良く、1番労働負荷が掛からず、1番時間効率が高く、1番将来性が有り、1番私に向いている手段はどれかを吟味し続ける内に、ふと私は、結局、楽して儲けたいと願っているだけだと気が付いたいのであります。
そして、それと同時に、成功するということと、楽して儲かることは、全く逆のことであるなと、若いながらも、そう思えたのであります。
そう思えた理由は、成功というイメージが、何か大きなことを仲間と共にやり遂げて、それを実感している自分と仲間達が、歓喜に震えて、お互いを抱き合っているイメージだったからであります。
私は子供の頃から、努力をしたことが無い人間でした。
勉強もスポーツも、何か夢中で打ち込んだものはありません。
人様に自慢できることはありません。
当時、任天堂の大ヒット商品であるファミコンと、クラスが変わる毎に新しくできる想い人(女の子)に、声を掛けるでもなく、勝手に心で熱を上げていたくらいです。
そんな私が、何故、成功のイメージを「仲間と共に」と思っていたのかは本当に不思議であります。
仲間と共に何かを成した経験が無いのに、です。
どちらかと言えば、仲間と共にのクラスマッチや体育祭、文化祭、部活動を、自前のアトピーと喘息を理由に逃げのびており、クラスメイト達を陰から見守っているだけであったことの反動だったのかも知れません。
本当は、あの熱く活き活きと盛り上がっているチームの中に入りたいけれど、私は運動下手だし、頭も良くない、動揺して、思わず心にもないバカな言葉を言ってしまうことがあるし、皆んなの足並みを乱して迷惑を掛けるかも知れない。
皆んなの前で、上手くやれなかった時、恥をかくのがとても嫌でした。
それなら、「できるけどやらない」と決め込んだ方が良い。
その方が、自分が救われる。
いつしか始まった引っ込み思案。
いつのまにか身に付いた二の足を踏む癖。
そして無意識に私のアイデンティティは、「いつかやってやる、今じゃないけど」をスローガンに完全定着してしまっていたのです。
遠い昔の「逃げ癖」という種から、生えた今の私という名の木。
私にとっての成功とは、この過去の自分を救うことと一体となっていると、私は成功を真面目に考えた時にそう気が付いたいのであります。
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