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「今日も何処かで中庸マン」

INCRコンサルタント協会では、会員に対し実施する人間教育が、最も大きな特徴となっておりますが、教育を行う上での重要なテーマの一つに、この「中庸」が挙げられます。

現代社会において、一般生活を営む中で、この中庸という言葉を耳にすることは無いと思いますが、この中庸という言葉をはじめ、日本人の徳性を現すことのできる大切な言葉達が、戦後70年を経て、大半とも言える数が失われて逝くことを、私は心から憂(うれ)いております。

その理由は、単に時間が経過したことによる喪失などでは無く、意味深い言葉で有れば在るほど、それを理解し、時中(じちゅう)にて扱うことのできる賢人君子を、この國は数多く失っているということなのでしょう。そして、その事実は、この國をより危機的状況に陥らせることになりかねないのです。そうならぬよう、協会では古の教えから諫言(かんげん)賜り、それを実学に変えて、分かりやすい言葉で教訓とし、他者の人生に影響を与える立場であるコンサルタント達(会員)の思考を、戒(いまし)めて行くものです。

中庸とは、社会生活を営む上での、様々な人間模様の中で、自分自身の立場を、「私」という観点からでは無く、「公」という観点から理解し、誰もが、人と人の間に立ち、人間関係から生じる誤解や、諍(いさか)いによる摩擦を、双方に対する思いやりの念で持って、心を癒し、患難(かんなん)をいなして行く役割を、積極的に担うことによって、解決に導いて行くものです。


そして、中庸に立つ人間が、相手を導く方向性は、個人の価値観に属する「善」では無く、社会全体の成長や、発展に基づくという意味での「善」でなければ成らず、そこに明確な概念は在っても、明確な正解は無い為、その時々の中庸を意識した振る舞いには、当人の収める徳性が指し示す、知性の深みにより決まる為、正しい中庸が行われていたかどうかは、その後の結果が導き出す因果関係を検証し、常に自己の中に在る中庸感覚を、事あるごとに振り返っては、磨き続けて行く習慣を身に付けなければ、無意識になると直ぐに、その中庸感覚は錆びついて行ってしまいます。


つまり中庸とは、所謂(いわゆる)第六感と呼ばれる感覚的なものです。

日本は諸外国に比べて、国民同士の揉め事から発展する民事裁判が、少ないことで有名です。

そもそも揉め事というのは、人間同士が、何か事が起こった時に、それぞれ自分に都合が良いように、事象を解釈し、その言い分を相手に押し付けることで、言い分が食い違って起こるものですが、冷静になって相手の立場になることさえできれば、自己の言い分と同じような言い分が、相手にもあるだけだと分かるものなのですが、中々、自然とその目線にはなれないものですよね。

そんな時に、昔は、正しく中庸の感覚を持つ第三者が、共通の知人、友人、もしくは隣人に居て、上手に気付かせてくれたりしたものです。


平成を迎えるまでの日本には、このような中庸を正しく導ける賢人君子が、至る所に居てくださいました。

賢人君子といっても、別に特別な地位にいる人ではなく、会社の社長をしているわけでも、市長でも、知事でもなく、ただの誰かの父親でした。

つまり、ただの「おじさん」が、誰かと誰かが揉めたら、何処からともなくやって来て、名奉行かの如く、互いを納得させる役割りを担ってくれていたものです。

そこで、おじさんが語ってくれることは、それはそれは、道徳に満ちた、見事な正論であり、しかも、どちらか一方を責めるわけでも、起こった出来ごとを検証するわけでもなく、人と人が憎み合う愚かさと、悲しさ、それこそが罪だと言うことを、まるで自分の子に諭すように、思いやりを持って、熱く語ってくれるのです。

聖徳太子の「和を持って尊ぶ」を、いつでも誰かが熱く、真面目に教えてくれる社会が、誇るべき、あの頃の日本には在りました。


そして、そんな名奉行が間に入って解決した後は、揉めていた者同士の心の痼(しこ)りも残らないもので、そこには、間に入った「おじさん」の、人間としての器の大きさに、安心して、「怒りの感情」を預けられたという、目には見えない仕組みがあったように思います。

相手を憎む醜い気持ちなど、本当は誰も持っていたくないものです。

でも、一度湧いた嫌な感情は、誰かが預かってくれないと、いつまでも自分が持っていなければいけません。

皆んな、それが辛いから、嫌な感情が湧くキッカケとなった相手に、その感情を押し付けたくなるというメカニズムにより、問題は起こるのだと思います。

病と同じで、早めに治せば酷くならないのですが、時間が経つと病魔が広がります。同じように、揉めごとにより湧いた怒りが、本来、清らかで、美しいはずの精神を侵し、病魔が巣食う前に治してあげたいものですね。

互いに、本当は怒っているのではなく、湧いた怒りに毒されて、自分が苦しんでいるのですよね。

正に罪を憎むべきであり、人に向けるものではないとのことですね。

しかし、そういった聖徳太子を想わせる「おじさん」も、平成初期の頃で、80〜90代、令和の現在は、もう亡くなられております。

従って、この大切な役回りを引き継いで行かねばならない。

決して絶えさせてはならないと思うのであります。

其処彼処(そこかしこ)に、中庸の感覚を持つ人が居た時代、人は人を信頼することを疑いませんでした。

それは社会全体の通念であり、「常識」でありました。

その素晴らしい常識は、一人一人の日本人の道徳心が、誇るべき多数派として、日本人全体の人格を高く保ってくださっていたことに、失った今、痛感するのであります。

中庸の人が、これ以上減ってしまえば、何かにつけて、揉めては裁判、揉めては裁判と、血の通わぬやり取りは、益々エスカレートして行きますし、裁判というものは、確たる証拠を持つ側と、裁判の勝ち方を熟知している弁護士の生きる場所。

それを職業とする者に任せた時点で、それはもはや「揉め事」という名のビジネスでしかないのです。

そうやって、犯罪も戦争もビジネス化して行く世の中を、これ以上に増長させてはならないと憤慨し、激昂する大和民族を、慎み深く、揺るがぬ信念を心に秘めた武士を、また令和という時代から、育てて行かねばなりません。


危機に瀕すれば、幾度となく神懸かっては、甦るのが我らが大和民族であります。


次回、「中庸と中立」の巻にてお会いしましょう。

お付き合いくださり、ありがとうございました。

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